駆け出し経営者の診断日記

 
 

春が来た

  1. 17:11:14
先月報告したように、春節開けの2月上旬に上海に出張して来ました。
首都圏地区と上海の陽気は一年を通してほぼ同じと感じていましたが、
厳寒のの日本に比べとても暖かくて、コートもいらないくらいでした。

立春直後の日本はよく「暦の上では」という枕言葉が使われるように
まだまだ寒が残りますが、
大陸では暦どおりに立春で「春」を迎えるのかもしれません。

中国伝来の二十四節気で言えば、
今年は2月4日の「立春」から
2月19日の「雨水」(=空から降るものが雪から雨に変わる頃)
と3月5日の「啓蟄」(=冬眠していた虫が穴から出てくる頃)
を経て、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる「春分」を3月20日に迎えます。

この頃の陽気は「三寒四温」と言われるように、
寒い日と暖かい日が数日ずつ交互に訪れます。
この言葉は、もともとは中国東北地区から朝鮮半島北部を経て、
日本に伝わって来ました。

大陸では冬にシベリアで気団が発生し、
それが中心気圧1050ヘクトパスカル以上の高気圧に発達します。
これがシベリア高気圧で、
その盛衰が七日周期で三寒四温の現象を生み出すわけです。

したがって中国ではもともと冬の言葉で、
「いくら冬と言っても3日間寒かったら4日間ぐらいは暖かい日がある」
という意味でした。

これが日本に伝わるとき春の言葉に転化してしまいましたが、
日本でこの季節の陽気を表現するのにこれ以上の言葉は見つかりません。

一方、今年は平年よりだいぶ早く吹き荒れた「春一番」は、
日本海に発生した低気圧に向かって気圧の高い南から強風が吹くという、
日本特有の気象現象です。

したがってこの言葉は中国にはなく、
幕末に起きた海難事故から生まれたと言われています。

安政6年(1859年)の旧暦2月13日、
長崎県壱岐・郷ノ浦町の漁船団が五島沖の鯛漁に出漁中、
突然の暴風により53人全員が船とともに海中に沈みました。

その後毎年この日にはどんなに天気がよくても、
沖止めして海難者の冥福と海上安全・豊漁を祈願しています。

そして春先のこの突風を猟師たちが「春一」または「春一番」と呼び始め、
気象用語として全国的呼称になったそうです。
もともとは、キャンディーズの歌のようなのどかなものではありません。

「春」は英語で“spring”ですが、この言葉は辞書によれば、
「湧き出る」、「物事が(突然)起こる、生じる」、「風が吹き出す」
と言った意味があります。

偶然かもしれませんが春一番との関連性を感じます。
「泉」を“spring”と呼ぶのもこの語源です。

季節の “spring”については同じ語源から派生し、
「植物が芽を吹き出す時期」という意味のようです。

日本語の「ハル」の語源は9つの説があるそうですが、
「草木の芽が張る(ハル)」というのがその一つですので、
これもよく似ています。

水戸の偕楽園では梅が満開だそうです。
まもなく、桜前線が北上してきます。

 
 
 
 

節分とバレンタイン

  1. 07:03:24
春節休暇も終え、寒さが厳しい中にも春が近づいてきました。
今回は初春の風物詩である節分とバレンタインデーを強引に結びつけます。
さて、共通点は?

「節分」とはその名のとおり、
もともと季節の分かれ目を指す言葉で、
かつては立夏・立秋・立冬の前日も節分とよびましたが、
一年のはじめである立春が次第に重要視され、
節分といえば立春の前日を指すものとなりました。

立春を新年と考えると節分は大晦日にあたり、
宮中ではその日に前年の邪気を払う「追儺(ついな)」
あるいは「鬼儺(おにやらい)」という儀式が
平安初期から営まれていました。

その起源は中国で、周の時代にさかのぼります。
その儀式はほぼそのまま日本に持ち込まれ、
赤装束に四つ目の面をかぶって盾と矛を持った大舎人長と、
桃の弓・葦の矢・桃の枝を持った群臣が、
鬼の役となる舎人を追いまわし、退散させるものでした。

この頃、「桃は百鬼を防ぐ」という思想が中国から入り、
桃太郎のおとぎ話が象徴するように
桃は鬼が最も嫌う果実とされていました。

しかし室町時代に入ると桃信仰がすたれ、
その代わりに出てきたのが大豆でした。

「世の中は5つの元素(木・火・土・金・水)から成立する」
と唱える陰陽道が日本全国に流布するにつれて、
これに基づく迎春行事が盛んになりました。

陰陽道によると節分の豆まきはそもそも
「大豆を火で炒って外にまくことにより春という季節を充満する」、
という意味があったようです。

「鬼に金棒」という言葉があるように、
鬼は「金」の象徴ですが、
大豆もとても硬いことから「金」に属し、
それを「火」で炒って人間が食べてしまうことにより
鬼を退治することになります。
(余談ですが、陰陽道で「鬼門」というと北東、
十二支では「丑寅」の方角を指します。
鬼が牛(丑)の角を持って虎(寅)のパンツをはいているのは、
これに由来するようです。)

一方、バレンタインデーの起源とされている説は複数ありますが、
最も有名なのはローマの司祭、聖バレンティノにちなむというものです。

3世紀の頃、
彼はまだローマでは異教として迫害されていたキリストの「愛」を説き、
強い軍隊を作るために禁じられていた兵士の結婚式を執り行いました。

このために逮捕され、
アステリオという判事の手で取り調べを受けることになります。

この判事には目の見えない娘がいましたが、
取り調べ中にバレンティノの「愛」の力で奇跡的に直ったため、
一家揃ってキリスト教に改宗しました。

しかし結局市長に知れることとなり、
バレンティノは西暦273年2月14日に処刑されてしまいます。

この二つのエピソードから中世ヨーロッパでは
聖バレンティノ(英語読みでバレンタイン)は
「愛」の守護神と見なされるようになり、
14世紀ごろから彼の殉教の日に恋人たちが
贈り物やカードを交換する風習が生まれました。

日本では昭和11年に
洋菓子メーカーのモロゾフが
この習慣を聞いて広告を出したのが最初の上陸といわれています。

「女性から男性にチョコレートを贈りましょう」
と呼びかけたのは昭和33年、
メリーチョコレートの営業主任だそうですが、
当時は不発に終わり、
その習慣が広まるまでには20年近くかかりました。

それが今では国民的行事として定着しています。
ある調べでは20歳から50歳の女性の義理チョコ予算は
1個あたり869円で平均9.5個贈っている一方、
本命チョコにかけるお金は3081円だったそうです。

節分の豆まきは年男・年女が担当しますが、
中国語では自分の生まれた年の干支を
陰陽道の用語に由来して「本命年」といいます。

「本命年」に当たる丑年生まれの皆さまは、
本命チョコをもらえる予定はあるでしょうか?



 
 
 
 

中国の春節

  1. 07:20:59
すでに1週間が過ぎてしまいましたが、
1月26日は中国の春節でした。

この、中国最大の年中行事は
太陰暦により旧正月を祝うため、
毎年日取りが少しずつ異なり、
今年はちょうど1月26日が元日に当ります。

法定の祝日は3日間だけですが、
実際にはその前後の週末を出勤日にするなど調整して、
多くの会社が1週間ほど一斉休暇とします。
このため今日あたりまで、中国ビジネスはほぼ完全に止まっています。

春節は世界中の華人にとって
日本の盆と正月を合わせたような大事な行事で、
その祝い方もかなり共通しています。

まず、春節といえば爆竹です。
爆竹はその名の通り、
そもそもは漢代の頃に
火に竹をくべて爆発させて魔除けをしたのが発祥といわれています。

その後火薬が発明されると、
それを麻の茎に詰めたものが宋代に登場し、
今の爆竹の源流となりました。

中国の爆竹は人差し指ぐらいのものが20個で一連となっており、
その爆発力は日本のものとは比較にならないほど強力です。

このため大都市では禁止されているところが多いのですが、
それでも違反者により毎年怪我人が絶えず、
北京だけでも数百人の負傷者が出るほどです。

ある統計によると、
この季節に中国全土で使用される爆竹の火薬量は、
広島に落とされた原爆の2.5倍の威力を持つそうです。

春節のもうひとつの風物詩が餃子です。
ある調査によると日本人は93%が焼き餃子を好むそうですが、
中国の餃子とは一般に焼いていない水餃子や蒸し餃子のことです。

餃子の発音(ジャオズ)が、
古い年と新しい年が交わる時を意味する「交子」と同じであるため、
年が変わるときに縁起を担いで餃子を食べるそうです。
(子宝に恵まれるため、という説もあります。)

春節のため餃子を大量に作るとき、
具の中にひとつだけ硬貨をつめておきます。
そして口に入れた餃子に硬貨が入っていた人は
新しい年を幸せに過ごせるといわれています。

アメリカの中華料理店ではどこでも、
最後に会計を頼むとフォーチュンクッキーが人数分だけ
計算書と一緒に出てきます。

これは中が空洞になった餃子形のクッキーに
小さなおみくじが入っているものですが、
もしかしたらこの餃子に硬貨を入れる風習から
ヒントを得たものかもしれません。

このクッキーを考案した人は大変な財を成したそうです。
「フォーチュン(fortune)」は「運勢」と「財産」の意味を持ちますので、
ふたつの意味でフォーチュンクッキーといえます。

何事も目の付け所次第で金儲けのチャンスは転がっているものですね。


 
 
 
 

メリー・クリスマス

  1. 08:28:04
2008年12月25日(水)

不況風の中、例年のような盛り上がりに欠けながらも、
クリスマスの日を迎えました。

11月の初旬に始まった日本でのクリスマスシーズンは終了し、
明日からは年末・年始モードに切り替わっていきます。

いうまでもなくクリスマスはキリスト教の行事です。
カトリックでは12月8日の「無原罪の聖母の祝日」から、
その準備を始めることになっており、
イタリアなどではこの日を心待ちにしています。

プロテスタント発祥の地であるドイツでは、
「アドヴェント待降節」と呼ばれる11月最終日曜日から準備が始められます。

どちらも宗教に則った厳粛な日であり、
商魂によりこれが早まることはありません。

アメリカなら商売優先になりそうですが、
ちょうど11月第4木曜日にサンクスギビング(感謝祭)の祝日があるため、
クリスマスの準備はその後に開始されます。

クリスマスから宗教色を払拭してしまった日本は、
もしかして世界で最も節操のない騒ぎ方をしている国かもしれません。

古代中国では、冬至が元旦とされていました。
クリスマスはキリストの誕生日とされていますが、
元をたどると太陽の新生を祝う
「冬至の祭り」がキリスト教化されたのがその起源なので、
当然このふたつは時期が重なっています。

日本ではクリスマスに駆逐されたわけでもないでしょうが、
冬至にゆず湯につかり、カボチャを食べる習慣が風化しつつあります。

中国ではまだこの日をお祝いする伝統は強く残り、
長江より北の地域では餃子を、南では餅を食べて祝います。

一方、クリスマスは近年まで祝う習慣がありませんでしたが、
経済的な開放が進むとともに「聖誕節」として
年々華やかに祝うようになってきたようです。

中国でも憲法で信教の自由を認められていますが、
政府はキリスト教を含むあらゆる宗教を潜在的な反政府勢力と見なし、
警戒を強めています。

憲法条文中に
「いかなる人も、宗教を利用して社会秩序を破壊し、
国民の身体・健康を損ない、国家の教育制度を妨害する
などの活動を行うことはできない。」
との文言があり、
実際の宗教活動は寺院や教会など決められた場所でしかできません。

したがってクリスマスの祝い方も宗教色の薄いものであり、
流行に敏感な若い世代から年中行事の一つとして
楽しまれるようになってきたようです。

今後豊かさを増すとともに、
日本のように独自の文化に発展(?) していくのかもしれません。

そういえば、クリスマスイブの日(聖誕節前夕)には、
七面鳥に代わり北京ダックの有名店が
若いカップルの予約でいっぱいになると聞きました。

ちなみに、「聖誕節快楽」とは「メリークリスマス」のことです。
鴨食って精つけて・・・という意味ではないので、誤解のないように。



口述試験に合格された方々、

おめでとうございます!




 
 
 
 

ワイン・日本酒・紹興酒

  1. 00:31:47
2008年11月20日(木)

本日、11月の第3木曜日に解禁となったボジョレーヌーボーは、
2008年産フランスワインのさきがけです。

このワインは短期間で仕込むために、
ブドウをつぶさず茎も取らずに
房のまま密閉されたタンクで発酵させる(マセラシオン・カルボニク法)ので、
果実味の豊かなフレッシュな味わいとなるのが特徴です。

日本ではポリフェノール効果にも後押しされ、
ワインの消費量は年々増えています。

一方で、同じ醸造酒である日本酒は、
メーカー側のさまざまな技術改良やマーケティングの努力にもかかわらず
消費の減少傾向に歯止めがかかりません。

そこで業界では輸出市場に目を向けており、
欧米においてその努力が少しずつ実を結びつつあります。

アメリカでは高所得者層が白ワイン感覚で高級冷酒を楽しむようになり、
最近は輸出額がうなぎのぼりに拡大しています。

ヨーロッパでも日本食ブームとともに日本酒の人気も上がっており、
ボジョレーヌーボーの解禁日に対抗して、
パリで新酒の利き酒会が開かれています。

しかし中国はというと、
サントリーが上海のビール市場で最大のシェアを獲得していますが、
日本酒の認知度はまだまだ高まっていないようです。

日本酒の材料は精米ですが、
中国の醸造酒の代表である老酒はもち米を材料とします。

老酒は、蒸留酒の総称である「白酒」に対し「黄酒」とも呼ばれ、
古来より親しまれてきました。

中でも浙江省紹興市で生産される老酒は、
「紹興酒」の名前で世界中に輸出されています。

日本酒やワインの発酵期間は20日程度ですが、
紹興酒の場合はもち米に麦麹を加え、2ヶ月かけでじっくりと発酵させます。

この過程で豊富な栄養物が形成され、
分析によると必須アミノ酸が20種類余り含まれているそうです。

中国では紹興酒の入ったかめを池に埋め、
娘が嫁に行くとき掘り出して祝う風習が3世紀ごろからあったとされており、
長期の熟成により複雑な味を調和させて素晴らしい酒に変身させてきました。
この点はワインと共通しています。

一方日本酒は、歴史的に長期間貯蔵熟成するという発想は少なかったようです。
これはひとつには日本酒が非常に腐りやすく、
貯蔵しづらいという技術的な理由がありますが、
「初物好き」の江戸っ子気質にも関係しているようです。

江戸時代には関西地方で仕込まれた新酒を、
西宮から出航して江戸への一番乗りを競う「番船競争」が、
一大イベントとして江戸っ子を熱狂させました。

この新酒の人気が「搾ってすぐにおいしく飲める酒」を造る技術を発達させ、
米をできるだけ白く磨いたり、雑菌に汚染されない麹を作る、
などの純粋性を追求してきました。

この純粋性は、一方でワインや紹興酒のような、
複雑性を排除してしまったことにもつながります。

最近は日本酒でも長期熟成酒がいろいろ開発されているようですが、
まだ市場で見かけることはまれです。

酒の世界でも人口の多い中国市場はたいへん魅力的ですが、
歴史的に熟成酒に慣れ親しんだ中国の人たちの支持を得るためには、
欧米とは異なるアプローチを取る必要があるかもしれません。

 
 
 
 

8月8日

  1. 12:43:49
本日8月8日の午後8時8分に、北京オリンピックが開催されます。
日本では「八」の字の下部が広がっていることから、
「末広がり」ということでめでたい数字とされていますが、
中国でも8は縁起のいい数字です。
これは「八」の発音が「財を成す」を意味する「発財」の発音に近いから、
と言われています。

8は偶数ですが、
中国では古くから陰陽道の陽である奇数の方が縁起がいいとされ、
日本にも伝わった節句もすべて奇数月・奇数日に設定されています。

9月9日は「重陽」の節句、
すなわち陽数字の中で最も大きい9が重なる日として、
中国ではもちろん、
日本でも平安時代から江戸時代に至るまで菊を飾って盛大に祝ったそうです。

しかし明治になり太陽暦が採用されると、
9月9日はまだ菊が開花していない時季になってしまい、
それがこの節句が日本で廃れる一因になったようです。
(ちなみに旧暦では10月25日前後になります。)

しかし、「暦の上では」としてよく使われる立秋・夏至といった「二十四節気」は、
ほぼ旧暦と同じ季節感で設定されています。

こちらは春分(春に昼と夜の長さが最も等しくなる日)を起点に、
1年を24等分して設定されており、
数字にこだわる必要がなかったためと思われます。

つまり日本には、旧暦とほぼ同期する「節気」と、
1ヶ月以上ずれる「節句」をはじめとした年中行事が共存することになってしまいました。

一方中国では、古くからの年中行事は旧暦に基づいて祝われることが多いようです。
例えば中国語圏のビジネスがほぼ全面休業となる春節は、
言うまでもなく旧暦の正月になります。

子供のころ、梅雨がまだ明けない7月7日の空を見上げながら、
「今年も織姫とひこ星の出会いが見えなかったけど、
めったに見えないからロマンなんだな・・・」
などと勝手に考えていました。

しかし実は昔の人たちは秋の虫の鳴き始めた頃、
夕涼みをしながら七夕を祝っていたと思うと、
随分違った印象を感じてしまいます。

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土用の鰻

  1. 00:24:28
梅雨が明け、暑い日が続いています。
産地詐称問題はありますが、
それでも本日の「土用の丑」の日には、
日本全国のスーパーや鮮魚店などでは鰻が飛ぶように売れると思われます。

土用とは「土旺用事」の略で、
「土の気が旺(さかん)になり、事を用いる」意味を持っています。
『用』は「はたらき」ということで、
土用は土気の最も働く期間を表わしています。

この「土用」は、
中国の戦国時代に生まれた五行説による季節の割り振りです。
五行説では世の中のすべてのものが、
木・火・土・金・水の五つの要素の組合せで成り立つとされています。
季節の場合、
春=木、夏=火、秋=金、冬=水が割当てられ、
「土の性質はすべての季節に均等に存在する」
ということから各季節の最後の18-19日間を「土用」としました。

したがって現在では土用というと夏だけに使われることが多くなりましたが、
本来はすべての季節にあります。
今年の夏の場合、土用の入りは7月19日、明けは8月6日で、
その翌日の8月7日が立秋になります。
この期間中の十二支による丑の日が「土用の丑」と呼ばれ、
年により1回または2回あります。
ちなみに今年は7月24日と8月5日の2回です。

夏の土用の時期は暑さが厳しく夏バテをしやすいため、
昔から精のつくものを食べるという習慣がありました。

大伴家持が万葉集に、
「石麻呂に 我れ物申す 夏痩せに
 よしといふものぞ 武奈伎(むなぎ=鰻)捕り喫せ」
という和歌を詠んでいます。

これは『石麻呂さん。夏痩せには鰻を取って食べるといいよ。』
ということで、奈良時代には日本人は鰻を食べる慣習があり、
鰻は夏痩せにもいいということがわかっていたようです。

鰻以外にも精のつく食べ物として
土用蜆(しじみ)、土用餅、土用卵などの言葉が今でも残っています。

それでは丑の日と鰻との関係は何でしょう?
これにはいろいろな説があり、
最も有名な説には平賀源内が登場します。

江戸中期、神田和泉橋の鰻屋が売れ行き不振に困り、
馴染み客の平賀源内に相談したところ
「本日土用の丑の日」と看板に大書して店頭に掲げました。
これが名声の高い大科学者の揮毫ということで、
町民の注目を浴びることになりました。

世はちょうど食道楽に贅を尽そうとしている矢先だったこともあり、
人々は
「源内先生が言うのだから丑の日と鰻と栄養とが深い関係があるに違いない」
と勝手に考え、これにより鰻屋は千客万来の盛況を呈したといわれています。

その他に蜀山人が登場する説などがありますが、
いずれの説にしても江戸時代に「土用の丑の日に鰻を食べる」
という習慣が定着したようです。

鰻は古くから日本人に食されており、
新石器時代の古墳から鰻の骨が出土しています。
記録としては「風土記」(713)に初登場し、
先ほどの「万葉集」(759)に続きます。

この頃は塩で味付けしたようですが、
室町時代に丸のまま口から尾に向けて縦に串刺しにして、
酒と醤油で味付けをし、山椒味噌などをつける調理法がうまれ、
それが蒲(がま)の穂に似ていることから「蒲焼」と呼ばれるようになりました。
そして後に身を開いてつけ焼にするようになっても、
蒲焼の名が残ったといわれています。

中国北部では無鱗魚ということで鰻はあまり好まれませんが、
中南部、特に沿海地方の人たちはさまざまな料理法で食べます。
しかし中国で養殖されている鰻の大部分は日本への輸出用です。

中国の山間部は鰻の養殖に適した環境が多く整っており、
ここに台湾や日本の技術者が出向して工夫を凝らして、
日本向けの鰻蒲焼を大量生産しています。

低価格を武器に、
数年前には日本市場における中国産鰻の比率が80%まで達しました。
しかしその後日本での原産地表示基準が厳しくなったり、
中国産の鰻から水銀が検出されたりする一方で、
日本の養殖技術も急速に進歩し、
国産鰻がシェアを取り戻しています。
でも、スーパーに並んでいる鰻が本当に国産なのか?
疑問は残るところですが。

受験生の皆さまは、鰻で精をつけて、
あと9日間を乗り切りましょう。

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梅雨とアジサイ

  1. 06:34:22
2008年6月3日(火)

昨日、近畿地方から関東地方にかけて梅雨入りしました。

梅雨は春から夏へ気候が変わるとき、
日本・中国・朝鮮半島といった中緯度の東アジア地域だけに見られる雨季です。
この原因は日本の北方にある、冷たく乾いた大陸性「オホーツク高気圧」と、
南方海上の高温多湿な海洋性「太平洋高気圧」の間にできる前線です。

偏西風の中心体であるジェット気流は冬から夏にかけて北上しますが、
これが6−7月頃になると中央アジアでヒマラヤ山脈にぶつかり、
山脈の西側で2つに分断されてしまいます。

この分断された北の流れがオホーツク高気圧を、
南の流れが太平洋高気圧をそれぞれ発達させ、
東アジアでぶつかって梅雨前線を作るわけです。

これがさらに北上すると気流の分断がなくなり、梅雨明けとなります。
北からの冷たい空気は北東気流と呼ばれ、
東日本でシトシト冷たい雨を降らせます。
一方西日本では東南アジアのモンスーンのようなザーザー降る雨となるので、
同じ日本でも2種類の対照的な梅雨があるわけです。

「梅雨(ばいう)」は江戸時代中ごろに中国から入ってきた言葉です。
一説には、
長江(揚子江)流域で梅の実が熟す頃大雨になることが語源と言われており、
今でも中国では梅雨(マイユー)と呼ばれています。

日本ではこの言葉が入るまで、
旧暦で今の6月にあたる5月の雨ということで五月雨(さみだれ)と呼ばれ、
多くの歌や句に詠み込まれています。
漢詩にも梅雨を詠ったものが多いので、
日中に共通の詩情をそそる季節感といえるでしょう。

日本語の「つゆ」の語源は諸説ありますが、
「露(つゆ)」から来ているという説、
あるいは湿気で ものが腐ってしまうことから
「潰ゆ(ついゆ)」から来たという説などが有力です。

さて、梅雨時の風物詩といえば、
今あちこちで彩り鮮やかに花を咲かせているアジサイがあります。
この名前は、その色から由来するようです。
「あじ」は「集(あづ)」で集合、
「さ」は「真(さ)」で真実、
「い」は「藍(あい)」で藍色ということで、
「集真藍(あづさあい)」すなわち深い藍色が群れた花、
という意味になります。

この和名はすでに万葉集に
「味狭藍」や「安治佐為」などの当て字で大伴家持などに詠われています。
その後「草冠に便」と書いてアジサイと読ませることもありましたが、
これは大きく柔らかい葉を便所の落とし紙として使っていたのが理由で、
ちょっと花のイメージが変わってしまいます。

「紫陽花」の漢字を当てたのは、
平安中期の学者で三十六歌仙の一人でもある源順(みなもとのしたごう)でした。
中国唐代の詩人・白居易(白楽天)が杭州・招賢寺で、
名前が不明の紫色の花に「紫陽花」の名を与えたことによります。

この不明の花はその詩に「香気を宿している」と詠まれているので、
アジサイではないことが判明していますが、
当て字はその後も1000年以上にわたり誤用されたままです。
ちなみにアジサイは中国では「綉球」あるいは「八仙花」と呼ばれています。

江戸時代の終り頃、
日本の植物を収集記載して学名を付した
シーボルト及びツッカリニの「日本植物誌」によると、
アジサイの学名は “Hydrangea Otaksa, Sieb. et Zucc.” でした。
つまりヒドランゲア属の中の
「オタクサ」という種であることを示しています。

明治時代の日本植物学の権威である牧野富太郎は、
この名前の意味に随分悩みましたが、
結局これはシーボルトが日本滞在中に親しんだ、
丸山の遊女其扇(そのぎ)の本名・楠本お滝(オタキサン)の名を、
記念するためにつけたのだということが分かりました。

これを知って牧野先生は
「シーボルトはアジサイの和名を勝手に変更し、
わが閨で目尻を下げた女郎の名をこれに用いて、
大いにこの花の神聖を冒涜した。」
と激しくシーボルトを非難しています。

しかし28歳で来日した博学多識な医師が、
日本で心から愛した女性の名を、
その人に最もふさわしい花に与えたことはロマンともいえます。

今も史跡として残された長崎鳴滝のシーボルト邸跡には
多くのアジサイの花が植えられています。





「あっ!とながさき」より、シーボルト邸跡に咲くアジサイの花

 
 
 
 

桜三月

  1. 08:24:38
桜前線が北上し、いよいよ関東地方でも花見の季節が到来しました。桜はバラ科の樹木で、北半球の温帯と暖帯に分布しています。日本での基本的野生種は9種ほどですが、人工的品種改良が古くから盛んに行われた結果、現在では300種類以上の桜が日本に自生しています。桜を鑑賞する日本独自の文化が影響しているといえるでしょう。たとえば代表的品種であるソメイヨシノは、日本全国に広く分布しているため開花宣言の対象品種となっていますが、これも江戸時代にエドヒガンとオオシマザクラをかけ合わせて開発されたものです。

日本人と桜とのつながりは、イザナギやイザナミといった日本神話の神々が文献に現れる以前、古代日本人に崇拝されていたとされる山の神「サガミ(サ神)」に対する信仰から発生したと考えられています。山頂の神域に住むサ神に、古代日本人は祈願するたびに「サケ(サ香=酒)」や「サカナ(酒菜=肴)」をお供えしました。神はその気持ちだけを受取り、供え物は人々に下げられます。つまり花見は、「サ神様の鎮座するサクラ(サ座=桜)の木の下で、サケ・サカナをササゲて、おサガリをいただく」という行為から生まれたと考えられています。

中国で花見といえば、桃や梅を指すことが多いようです。陶淵明(365〜427)の「桃花源記」では、漁夫が桃の花に誘われて迷い込んだ理想郷が語られています。現在の中国の国花は牡丹ですが、中華民国時代の1929年に制定された国花は梅でした。当時は華美な牡丹より、「雪中梅」と言うように寒中に凛然として花を咲かせるさまが国花として適役とされたといいます。もともと日本には自生しておらず、遣唐使が中国から持ち帰った梅は文化・教養の象徴となり、日本でも奈良時代頃までは「花」といえば梅を指す時代がありました。この時代に編纂された「万葉集」には、梅を詠んだ歌が120首ほどある一方で桜は40首程度です。これが平安時代になると古代からの桜信仰が復興したのか、次第に桜が主役の座を奪っていきます。「古今集」では春の歌134首のほとんどが桜を詠んだものとなってしまいます。象徴的な出来事として、御所紫宸殿の左近の梅が桜に植え替えられました。平安以降、桜は常に日本人の最も好む花となり、花見は春の一大行事として定着しました。

日本の国花である桜は世界各国に贈られています。有名なところでは、明治45年に東京市長・尾崎行雄が日米親善のために寄贈したワシントンのポトマック河畔の桜は、今でも見事な桜並木を残しています。約30年前に日中国交回復を記念して田中角栄が贈った大山桜の苗木は、今では北京の玉淵潭公園で咲き誇り、日中友好のシンボルになっています。しかしながら桜の花の下でドンチャン騒ぎする日本のようなスタイルの花見はどこの国にも定着していないようです。「カラオケ」は今や世界中で通じる文化になっているのですが。

 
 
 
 

春の訪れ

  1. 18:30:41
 今週になって突然温かくなり、今日の気温は20度を超えたようです。
中国伝来の二十四節気で言えば、今年は2月4日の「立春」から2月19日の「雨水」(=空から降るものが雪から雨に変わる頃)と3月5日の「啓蟄」(=冬眠していた虫が穴から出てくる頃)を経て、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる「春分」を3月20日に迎えます。

 この頃の陽気は「三寒四温」と言われるように、寒い日と暖かい日が数日ずつ交互に訪れます。この言葉は、もともとは中国東北地区から朝鮮半島北部を経て、日本に伝わって来ました。大陸では冬にシベリアで気団が発生し、それが中心気圧1050ヘクトパスカル以上の高気圧に発達します。これがシベリア高気圧で、その盛衰が七日周期で三寒四温の現象を生み出すわけです。したがって中国ではもともと冬の言葉で、「いくら冬と言っても3日間寒かったら4日間ぐらいは暖かい日がある」という意味でした。これが日本に伝わるとき春の言葉に転化してしまいましたが、日本でこの季節の陽気を表現するのにこれ以上の言葉は見つかりません。

一方、今年も吹き荒れた「春一番」は、日本海に発生した低気圧に向かって気圧の高い南から強風が吹くという、日本特有の気象現象です。したがってこの言葉は中国にはなく、幕末に起きた海難事故から生まれたと言われています。安政6年(1859年)の旧暦2月13日、長崎県壱岐・郷ノ浦町の漁船団が五島沖の鯛漁に出漁中、突然の暴風により53人全員が船とともに海中に沈みました。その後毎年この日にはどんなに天気がよくても沖止めして海難者の冥福と海上安全・豊漁を祈願しています。そして春先のこの突風を猟師たちが「春一」または「春一番」と呼び始め、気象用語として全国的呼称になったそうです。もともとは、キャンディーズの歌のようなのどかなものではありません。

「春」は英語で“spring”ですが、この言葉は辞書によれば、「湧き出る」、「物事が(突然)起こる、生じる」、「風が吹き出す」と言った意味があります。偶然かもしれませんが春一番との関連性を感じます。「泉」を“spring”と呼ぶのもこの語源です。季節の “spring”については同じ語源から派生し、「植物が芽を吹き出す時期」という意味のようです。日本語の「ハル」の語源は9つの説があるそうですが、「草木の芽が張る(ハル)」というのがその一つですので、これもよく似ています。

 本日、受験校の先陣を切ってMMCの第一回模試が行われました。僕もこの模試を昨年受験し、いろいろな意味で刺激を受けました。草木の芽吹きと一緒に、受験生の皆さんのモチベーションも一気に高まる頃です。


 
 
 
 

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