駆け出し経営者の診断日記

 
 

節分とバレンタイン

  1. 16:47:48
2008年2月14日(木)

中国の春節も終え、寒さが厳しい中にも春が近づいてきました。バレンタインデーにちなみ、初春の風物詩である節分とバレンタインデーを強引に結びつけます。さて、共通点は?

「節分」とはその名のとおり、もともと季節の分かれ目を指す言葉で、かつては立夏・立秋・立冬の前日も節分とよびましたが、一年のはじめである立春が次第に重要視され、節分といえば立春の前日を指すものとなりました。立春を新年と考えると節分は大晦日にあたり、宮中ではその日に前年の邪気を払う「追儺(ついな)」あるいは「鬼儺(おにやらい)」という儀式が平安初期から営まれていました。その起源は中国で、周の時代にさかのぼります。その儀式はほぼそのまま日本に持ち込まれ、赤装束に四つ目の面をかぶって盾と矛を持った大舎人長と、桃の弓・葦の矢・桃の枝を持った群臣が、鬼の役となる舎人を追いまわし、退散させるものでした。この頃、「桃は百鬼を防ぐ」という思想が中国から入り、桃太郎のおとぎ話が象徴するように桃は鬼が最も嫌う果実とされていました。しかし室町時代に入ると桃信仰がすたれ、その代わりに出てきたのが大豆でした。

「世の中は5つの元素(木・火・土・金・水)から成立する」と唱える陰陽道が日本全国に流布するにつれて、これに基づく迎春行事が盛んになりました。陰陽道によると節分の豆まきはそもそも「大豆を火で炒って外にまくことにより春という季節を充満する」、という意味があったようです。「鬼に金棒」という言葉があるように、鬼は「金」の象徴ですが、大豆もとても硬いことから「金」に属し、それを「火」で炒って人間が食べてしまうことにより鬼を退治することになります。(余談ですが、陰陽道で「鬼門」というと北東、十二支では「丑寅」の方角を指します。鬼が牛(丑)の角を持って虎(寅)のパンツをはいているのは、これに由来するようです。)

一方、バレンタインデーの起源とされている説は複数ありますが、最も有名なのはローマの司祭、聖バレンティノにちなむというものです。3世紀の頃、彼はまだローマでは異教として迫害されていたキリストの「愛」を説き、強い軍隊を作るために禁じられていた兵士の結婚式を執り行いました。このために逮捕され、アステリオという判事の手で取り調べを受けることになります。この判事には目の見えない娘がいましたが、取り調べ中にバレンティノの「愛」の力で奇跡的に直ったため、一家揃ってキリスト教に改宗しました。しかし結局市長に知れることとなり、バレンティノは西暦273年2月14日に処刑されてしまいます。

この二つのエピソードから中世ヨーロッパでは聖バレンティノ(英語読みでバレンタイン)は「愛」の守護神と見なされるようになり、14世紀ごろから彼の殉教の日に恋人たちが贈り物やカードを交換する風習が生まれました。

日本では昭和11年に洋菓子メーカーのモロゾフがこの習慣を聞いて広告を出したのが最初の上陸といわれています。「女性から男性にチョコレートを贈りましょう」と呼びかけたのは昭和33年、メリーチョコレートの営業主任だそうですが、当時は不発に終わり、その習慣が広まるまでには20年近くかかりました。それが今では国民的行事として定着しています。プランタン銀座の調べでは20歳から50歳の女性の義理チョコ予算は1個あたり869円で平均9.5個贈っている一方、本命チョコにかけるお金は3081円だったそうです。

節分の豆まきは年男・年女が担当しますが、中国語では自分の生まれた年の干支を陰陽道の用語に由来して「本命年」といいます。子年生まれの人は今年が「本命年」に当たるので、豆をまいただけでなく、本命チョコをゲットする可能性もあるのでは?

 
 
 
   
 
 
 

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