駆け出し経営者の診断日記

 
 

大日程計画

  1. 08:25:41
2006年6月24日 Z社にて

この日に開催されたZ社のオリエンテーションで、「ストレートコースのカリキュラムは、過去のストレート合格生の意見を反映させながら毎年改良している。」という説明があった。
それならば、変に自分で考えず、これをペースメーカーとして活用すべきだ。

そのカリキュラムとは、一次の教材に少しずつ二次の準備を盛り込みながら、
年内は基本的に一次にフォーカスした学習とするものであった。
そして年末に二次の教材が届き、年明けから並行学習が始まる。

「よし、年内は基礎固めだ。」
あせらず、じっくりと7科目を確実に合格点に達するための基盤を築く。
Z社の講義日程を見ると、オリエンテーションのあと初回講義まで1ヶ月ほど間が空く。
さらにその後も、時には丸一日講義が続く一方、数週間空くこともある。

しばらくは、今年度受験生の日程を優先するためであろう。
だから、この日程にそのまま付き合うと、一定のペースを守れない。
そこで、講義前に一定ペースでDVDで予習を済ませ、講義で復習・定着を図ることとした。

年内の半年間は、ざっと月50時間ほど学習すれば、一次全科目の基礎固めができそうだ。
これならば、それほど負荷にならず「ジョギングレベル」のスタートがきれる。
長丁場なので、まあこんなものだろう。

そして年末から、二次の学習をスタートする。
当面並行学習しながら、なるべく早いうちに一次合格のめどをつける。
一次合格の確信が得られたら、そこから二次に集中。
一次試験前にもう一度7科目の皿回し。(Z社用語で、教材の高速復習)
1次試験後は、何も考えずに二次に向けてスパート。

16ヶ月間の大枠はできあがった。
もちろん、特に二次学習は初めてなので、思い通りにならないことも多いだろう。
でも、そのときは計画を修正すればいい。

最終目標は、「ストレート合格」であり、そのための計画なんだから、計画を守ることが第一目標となっては本末転倒である。
まずはこの計画に従ってやってみることにした。

 
 
 
 

教材到着

  1. 12:48:47
2006年6月某日 自宅にて

Z社の一次試験用教材が、一部科目のDVDを除いて届いた。
中くらいの段ボール箱で一箱分だ。
中小政策を除く6科目分のテキスト8冊(企業経営と運営管理は分冊)、
それらをまとめた分厚いサブノート、
それぞれの科目につき3〜6枚のDVD、
その他講座説明資料等である。

そもそも再受験にあたり、保持している二次受験の権利を行使することもできた。
一次を受験せず、二次に絞り込むことで、効果的な学習が可能かもしれない。
しかし結局、一次・二次ストレート合格を目指すことにした。
これはZ社の説明会に行く前には心に決めていた。

理由は、
?試験制度の変更により、一次試験で必要とされる知識の幅が大きく広がっていること、
?そもそも経営知識全般のブラッシュアップが目的の一つなので、基礎からのやり直しが必要であったこと、
?上記を鑑み、一次試験を合格できるだけの実力がなければ、新制度の二次試験は到底パスできないと考えたこと、
?二次受験が保証された上での一次学習は、ストレート合格の計画が立てやすいこと、
等である。

とはいっても、間もなく50歳である。
たとえば60歳を一つのマイルストーンとすると、あと10年しかない。
30歳の人と比べると、たった3分の1だ。
逆にいえば、一年の重みが3倍ということになる。
一次に一年、二次に一年なんて悠長なことをいってる時間はない。
何が何でも、一発で決めなきゃ。
"Play to Win" の計画を、具体的に練る必要があった。

教材と、Z社の日程をもとに、二次試験までの16ヶ月の大日程を作成することにした。

 
 
 
 

再受験の決意

  1. 08:56:17
2006年5月某日(その2)

“Play to Win”
30年に及ぼうとする会社人生で、最も尊敬する上司から叩き込まれた言葉だ。
直訳すれば、「勝つためにやる」、平板な意味である。
しかしその真意は、「やるからには必ず勝つ」
「勝てないと思う勝負なら、はじめからやらない」ということである。

前回の受験経験から、「必勝」することが容易でないのはわかっていた。
「必勝」のためには、相当強い動機づけが自分自身に対して必要である。

日本に帰任した当初の職責は、本社中国室の責任者。
欧米の職歴が長い自分にとって、まったく未知の仕事であった。
しかも、世界中で最も成長の可能性を秘めた市場。
勉強が中途半端になる言い訳は、いくらでも見つかる環境だった。

その仕事に一区切りつけて、異動になったのが2005年4月。
新しい仕事は、米国企業との合弁会社への役員としての出向だった。
米国側の親会社が製造する計測機器に、日本でソフトウエアやアクセサリ等の付加価値をつけて販売する、いわゆる技術商社である。
この会社で、事業管理を担当することになった。
小さな会社なので、「営業と、技術以外すべて」を少人数で担当する部署である。

企業規模は、社員約70人、資本金9500万円。
ちょうど、平成18年度事例?の、A社のような関連子会社で、堂々たる中小企業である。
業界的にも、企業規模からいっても、「中小企業的戦略」をとるべき会社だ。
しかし正社員は全員本社からの出向者で、思考回路は「大企業体質」。
業績は、数年来の赤字からようやく脱却しようとしている状況。
でも、社員の行動パターンは創業から20年来、ほとんど変わっていない。

一年間、この組織の中で「改革」を唱えてきたが、思ったように進まない。
自分の実力不足を痛感していた。
組織的には社内ナンバー2のポジションだが、社長とナンバー2の責任・権限の差は、ナンバー2と平社員の差ほどある、というのもわかってきた。
会社を変えるには、社長を言い負かすのではなく、社長に「言わせる」ことが大切だ。

そのために、診断士が備えるべき知識やロジックをブラッシュアップする必要がある。
それから、診断士の「カンバン」も自分の言葉に少し重みを与えるかもしれない。
これが、仕事面での大きな動機づけとなった。

実は、これよりも大きな、私生活面での動機もあった。
我が家には、今年4月に高三、中三になるふたりの子供たちがいる。
この子たちが、2006年2月に中学・高校のダブル受験となった。
ご存知の方も多いと思うが、中学受験は本人だけでなく、家族の総力戦である。
自分自身は、学生時代から多くの受験生をバイトで見ていたので、上の子の高校受験も徹底指導していた。

平日は帰宅して子供たちの勉強をフォローし、週末は塾や模試への送り迎え、
という生活が丸2年間ほど続いていた。
幸い、二人ともそれなりの学校への進学が決まり、戦いは終わった。

4月になり、新しい生活をスタートした子供たちの吸収力は高かった。
新しい友達がたくさんでき、クラブ活動も自分で選択し、水を得た魚のように生き生きとしている。
毎日が、とても充実しているようだった。
一方そのころ父親は、大きな目標を失い、呆けていた。
いわゆる、「五月病」というやつである。

「そういえば昔、置き忘れてきたものがあったな。」
診断士の再受験を、決意した。
"Play to Win"
機は熟した。

 
 
 
 

再スタートの日

  1. 09:01:39
2006年5月某日 中小企業診断士受験校Z社にて

Z社のカリスマ講師から、診断士ストレート合格コースの説明を受ける。
コースの内容は、満足できるものだった。
DVDと講義併用型で、これなら合格までに必要な情報は、
ほとんど入手できそうだ。

値段も30万円弱、二次の教材も全部含まれている。
12年前、Y社のストレートコースには40万円近く払ったよな。
しかも二次の教材やカリキュラムはほとんど含まれておらず、
それ以外にも店舗設計デザインなんかのオプションでずいぶん金使ったっけ。

そのうえ、今は教育訓練給付金でコースを修了すると40%還付される。
前はこんな制度なかったもんな。えらい差だ。
やっぱり、この業界も競争が相当激化してるんだろうな。

説明会終了後、その場で申し込む。
もともと、大きな問題さえなければZ社に通学することを心に決めていた。
前回、Y社に通いながら他流試合で受けたZ社の一次模試のとき、
少人数の講義形式をとり受験生同士の距離が近いZ社のスタイルがうらやましかった。

だから、一次試験直後に海外赴任の辞令が出て二次受験を断念したときも、
次に二次に挑むときは、Z社のお世話になろうとずっと思っていた。
でもまさか、再受験まで12年もかかるなんて思ってもいなかった。

帰任したのは平成13年9月、つまり5年も前だった。
帰任の準備とともに、インターネットで診断士試験の状況を確認した。
するとどうも、この年から試験制度が大きく変わるらしい。

まず、自分が一次合格の権利を保持する商業部門と、
鉱工業部門、情報部門の3部門制が統合され、一本化される。
これに伴い、一次の試験範囲が大幅に広がっている。
経営法務、経済学、生産管理、経営情報システム、新規事業開拓・・・
やったことのない科目が、半分以上ありそうだ。

しかも・・・え〜〜〜?
一次合格の権利が一回しか使えなくなるって?
これって、詐欺じゃないの?
一次合格の権利は、一生保持できるはずだったのに。

・・・というわけで、帰国後は仕事が大きく変わったこともあり、
新たな挑戦をためらったまま時間だけが過ぎていった。
ちょうど、回っている縄跳びに飛び込むのを決意できないでいるように。

 
 
 
 

合格発表

  1. 21:56:15
2007年12月7日(金) 午前9時45分

ううっ、足が重い・・・
東京メトロ日比谷線、東銀座駅ホーム。
茅場町で東西線から乗り換える頃から憂鬱だった。
自信がある訳じゃないのに、自分の目で結果を確かめたかった。
10時に、診断協会に張り出される二次試験の結果である。
そのために、会社も午前半日休暇を取った。

にもかかわらず、目的地が近づくにつれて後悔が高まってきた。
事前にネットで地図を調べたとおり、A2の出口で外に向かう。
階段を昇るのに、靴の中に鉛が入っているようだ。
晴海通りに出た。時間的に、人通りはあまりない。
ここから、裏通りに入って3ブロック先に、自分の運命が張り出される。

1ブロック進んだところで、人が並んでいる。
あれ? まさかここだっけ? でも年配の人が多いな。
ああ、京粕漬けの有名店か。合格してたら、帰りに買っていくかな。

2ブロック目、正面から厳しい顔つきをした男が歩いてきた。
直感で、試験結果を見てきた人だと確信する。ダメだったのかな?
この1年で、受験生を雰囲気で嗅ぎ分けられるようになった。
ということは、もう発表されているのか?
一気に心臓の鼓動が聞こえ始めてくる。

3ブロック目、今度は若い男とすれ違う。
うれしさを隠しきれない、というのはああいう顔だな。うらやましい。
ということは、発表されているのは間違いない!

交差点の先のビルに、診断協会の看板が見えた。
最後の交差点をあわてて渡ろうとしたところに、車が突っ込んできた。
あぶないあぶない、死んじゃったら合格してても何の意味もないもんな。

よし、着いた。あれ、でも誰もいないぞ。場所を間違えたかな?
4000人も受けているんだから、発表の場はごった返していると思ったんだけどな。
確か、1階の廊下に張り出されるって誰かのブログで読んだよな。
おや、あの薄っぺらい紙がそうかな? おおっ、そうだ!

手が震えてきた。
一次の結果をウエブで見たときは、番号が横に並んでいるのに気がつかず、
自分の番号を見つけられずに頭が真っ白になったよな。
だいたい、試験の席は縦並びなのに、発表が横並びなのはいやがらせだよな。
そんなことはどうでもいい。自分の番号だ。

XX732、XX735、XX736・・・密度が濃いな、大丈夫か?
「XX738」 あああああああっっっっっっっっっった〜〜〜〜〜!!!
落ち着け、落ち着け。番号を覚え違えている恐れがあるぞ。
カバンから受験票を取り出して、もう一度、張り出された番号の横で照合。
間違いない。合格したらしい。

周りを見渡す。誰もいない。まさか、別の試験の発表じゃないよな?
張り出された紙に、「中小企業診断士平成19年度第2次試験合格者の受験番号(東京 地区)」という文字を見つけ、一安心。

よし、次は仲間の番号だ。
一年間、勉強会で励まし合った仲間のうち、自分を含めて10人が受験番号を交換していた。
しゃくさん、さすが。事例?の大ミス、問題なかったね。
けんちゃん、やったね! まだ20代だったよな。
ピーナッツさん、流通活動を「物流」で書いたのは、はね返したね。
きょにうさん、再現解答はピカイチなのに、なぜか落ち込んでたね。

残念ながら、全員合格はならなかったけど、10人中5人合格か。
二次を受験したのは、あと15人ぐらいいるから、まだ増えそうだな。

そうだ、合格を報告しなきゃ。まず、ビルの外に出よう。
まず、勉強会のメーリングリストに合格メールを送るか?
いや、やっぱり奥さんに電話だよな。いろんな意味で優先順位高いもんな。

やっべ〜、涙があふれてきた。
このまま電話すると、奥さんが電話をとっても言葉にならなそうだな。
落ち着け、落ち着け、落ち着けるところを探そう。

あ、あそこにコーヒーショップがある。
とりあえず、あそこで座って、メールを送ろう。
震える手で、コーヒーをこぼさないように席に座り、携帯からメールを2通送った。

奥さんに、「合格した! ありがとう!」
勉強会のメーリングリストに「合格しました!」

10時7分。地下鉄をおりてからわずか22分だが、間違いなく、今年一番濃密な時間だった。

 
 
 
 

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